数理

原理講論の中の 14 の見出しや段落内に
「数理」の記述があります。


001

被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。ここにおいて我々は、神は数理性をもっておられるということを推測できる。またさらに、神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。したがって、唯一なる神に似た被造物(創一・27)はその存在様相やその運動、さらにまたその成長期間がみな三数過程を通じて現れるようになる。

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002

その第三は、そのために「数理的な蕩減期間」を、立てなければならないということである。それでは、この摂理的な数による蕩減期間がなぜ存在しなければならないのであるか、また、どのような摂理的な数の蕩減期間を立てなければならないかという問題は、便宜上、後編の第三章第二節(四)において詳しく取り扱うことにした。

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003

また、我々は、同時性の時代を形成する原因が何であるかを知らなければならない。このように、同時性の時代が反復される理由は、「メシヤのための基台」を復帰しようとする摂理が、反復されるからである。したがって、同時性の時代を形成する原因は、第一に、「信仰基台」を復帰するための三つの条件、すなわち、中心人物と、条件物と、数理的な期間などである。第二は、「実体基台」を復帰するための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」である。

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004

このような要因でつくられる摂理的同時性の時代には、次のような二つの性格がある。第一には、「信仰基台」を復帰するための数理的蕩減期間である代数とか、あるいは、年数を要因とする摂理的同時性が形成されるのである。復帰摂理歴史は、その摂理を担当した中心人物たちが責任分担を完遂できなかったために、そのみ旨が延長されるにつれて、失われた「信仰基台」をあくまでも反復して蕩減復帰してこられた摂理歴史であったのである。ここにおいて、必然的に数理的な信仰の期間を蕩減復帰する摂理もまた反復されるので、結局、摂理的同時性の時代は、ある年数とかあるいは代数の反復というかたちで、同じ型が重ねて形成されてきたのである。本章の目的は、すなわち、このことに関する問題を取り扱うことにある。

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005

(四)信仰基台を復帰するための数理的な蕩減期間

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006

我々は既に、後編緒論で、信仰を立てる中心人物が、「信仰基台」を復帰するには、彼のための数理的な蕩減期間を復帰しなければならないということを論述したが、今、この理由を調べてみることにしよう。神は数理的にも存在し給う方である。ゆえに、人間を中心とする被造世界は、無形の主体であられる神の二性性相の数理的な展開による実体対象である。被造物の平面的な原理を探求する科学の発達が、数理的な研究によってのみ可能であることも、ここに、その原因がある。このように創造された人間始祖は、数理的な成長期間を経たのちに、「信仰基台」を立てて、数理的な完成実体となるように創造されたのである。このような被造世界が、サタンの主管圏に落ちたので、これを復帰するためには、それを象徴するある条件物を立てて、サタンの侵入を受けた数を復帰する数理的な蕩減期間を立てることにより、「信仰基台」を蕩減復帰しなければならない。

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007

それでは、元来堕落前の人間始祖は、いかなる数による「信仰基台」を立て、いかなる数理的な完成実体となるべきであったのだろうか。創造原理によれば、あらゆる存在物を通じて、四位基台を造成しないで存在できるものは一つもない。したがって、未完成期にあったアダムとエバも、四位基台造成により存在したのである。この四位基台は、その各位で各々成長期間の三段階を経て、合計十二数の数理的な成長期間を完成し、十二対象目的をつくるようになるのである。したがって、アダムが、「信仰基台」を立てるべきであった成長期間は、すなわち、十二数完成期間である。それゆえに、第一には、未完成期にあった人間始祖は、十二数による「信仰基台」を立てて、十二対象目的を完成することによって、十二数完成実体とならなければならなかったのである。しかし、彼らが堕落することによってこれがサタンの侵入を受けたから、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、十二数を復帰する蕩減期間を立てて、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ、十二数完成実体の復帰のための「実体基台」を造成することができないのである。例を挙げれば、ノアが箱舟をつくる期間一二〇年、モーセを中心とするカナン復帰摂理期間一二〇年、アブラハムが召命されたのち、ヤコブがエサウから、長子の嗣業を復帰できる蕩減条件を立てるまでの一二〇年、また、この期間を蕩減復帰するための、旧約時代における統一王国時代一二〇年と、新約時代におけるキリスト王国時代一二〇年などは、みな、この十二数を復帰するための蕩減期間であったのである。

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008

それでは、いかにして成長期間が四十数完成期間となるかを調べてみることにしよう。これを知るためには、まず、十数に対する意義を知らなければならない。成長期間三段階の各期間が、再び、各々三段階に区分されれば、九段階になる。九数の原理的根拠はここにある。ところが、神の無形の二性性相の数理的展開により、その実体対象に分立された被造物は、成長期間の九段階を経て、第十段階である神の直接主管圏に入り、神と一体となるとき、初めて創造目的を完成するようになる。それゆえに、我々は、十数を帰一数と称する。神が、アダム以後十代目にノアを選ばれたのは、アダムを中心として成し遂げようとされたみ旨を、ノアを中心として復帰させ、神の側へ再帰一させるための十数復帰の蕩減期間を立てさせるためであったのである。

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009

そのため、アダムとエバを中心とする四位基台は、その各位が、各々成長期間の十段階を経て、合計四十数の数理的な成長期間を完成することによって、四十数完成実体基台となるのである。ゆえに成長期間は四十数完成期間ともなるのである。

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010

我々は、上述のことから、復帰摂理の中心人物が「信仰基台」を復帰するためには、いかなる数理的な蕩減期間を立てなければならないかを総合してみることにしよう。元来、人間始祖が堕落しないで、十二数、四数、二十一数、四十数などによる「信仰基台」を立てて、創造目的を完成し、このような数の完成実体にならなければならなかったのである。しかし、彼らの堕落によりこれらすべてのものが、サタンの侵入を受けたので、復帰摂理歴史路程において、これらを蕩減復帰する中心人物は、十二数、四数、二十一数、四十数などを復帰する数理的な蕩減期間を立てなければ、「信仰基台」を復帰して、このような数の完成実体復帰のために必要な「実体基台」は造成することができなくなっているのである。

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011

この時代がどうして四〇〇年になったかということについては、既に、後編第一章第三節(一)(1)で論述した。神が、ノアをして四十日審判期間を立てるようにされたのは、十代と一六〇〇年による数理的な蕩減復帰の全目的を成就なさるためであったのである。ところが、ハムの過ちによりこの四十日審判期間が、再びサタンの侵入を受けたので、神は復帰摂理を担当した中心人物をして、また、これを復帰する蕩減期間を立てるようになさらなければならなかったのである。しかし、神はアダム以後各代ごとに、一六〇数を復帰するための蕩減期間を立てる摂理をされて、これをノアのときまで十代の間続けてこられたように、それと同時性の時代であるノアからアブラハムに至るまでの十代も、各代ごとに審判四十数を復帰する蕩減期間として、立てていかなければならなかったのである。

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012

上記で既に明らかにしたように、復帰摂理を担当した中心人物は、縦的な蕩減条件をみな横的に蕩減復帰しなければならないので、摂理歴史が延長されるにつれて、復帰摂理を担当する後代の人物が立てるべき横的な蕩減条件は、次第に加重されるのである。ところが、アダム家庭を中心とする復帰摂理においては、これは復帰摂理を最初に始めたときであったので、縦的な蕩減条件はいまだなかったのである。したがって、アダムの家庭を中心とした復帰摂理においては、カインとアベルが、「象徴献祭」をささげることと、カインがアベルに従順に屈伏して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて、「実体献祭」をささげることによって、簡単に「メシヤのための基台」を造成することができたのである。したがって、「信仰基台」を復帰するための数理的蕩減期間も、彼らが象徴と実体の二つの献祭をささげる期間でもって、蕩減復帰することができたのである。ゆえに、アダム以後の信仰を立てる中心人物たちが、「信仰基台」を復帰するために、既に論述したような、十二、四、二十一、四十などの各数を復帰する数理的な蕩減期間を立てなければならなくなったのは、アダムの家庭の献祭失敗により、復帰摂理の期間が延長されるに従って、その数理的な蕩減期間が縦的な蕩減条件として残されたからである。したがって、ノアはその蕩減条件を横的に蕩減復帰すべき立場であったので、彼は、「信仰基台」を復帰するための数理的な蕩減期間として、箱舟をつくる期間一二〇年、洪水審判期間四十日、鳩を三次にわたって放つために立てられた七日ずつの三次にわたる、合わせて二十一日期間(創七・4、創八・10、創八・12)、箱舟がアララテの山にとどまったのち、鳩を放つまでの四十日期間などを立てなければならなかったのである(創八・6)。

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013

ハムの失敗により、ノアが立てたこれらの数理的な蕩減期間は、再びサタンの侵入を受けるようになって、それらは、更に縦的な蕩減条件として残るようになった。ゆえに、アブラハムはその期間を再び「象徴献祭」で、一時に、横的に蕩減復帰しなければならなくなったのである。しかし、アブラハムも、やはり「象徴献祭」で失敗したので、それらの期間を蕩減復帰することができなかった。それゆえに、これらの期間を更に、縦からなる横的蕩減期間として復帰するため、み旨成就を、イサクとヤコブへと延長させながら、十二、四、二十一、四十の各数に該当する蕩減期間を、再び、探し立てなければならなかったのである。

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014

ところで、アブラハムは、ノアのときに立てられた「信仰基台」を復帰するための数理的な蕩減期間である一二〇年、四十日、二十一日、四十日などを、「象徴献祭」を中心として横的に蕩減復帰させようとしたが、失敗して、この目的は完成されなかった。ここで、アブラハムは、これらを縦からなる横的な蕩減期間として復帰するため、一二〇年、四十年、二十一年、四十年を立てたのである。これと同様に、アブラハムの立場を民族的に蕩減復帰したサウル王も、やはり、アブラハムと同様に、モーセのときの「信仰基台」を復帰するための数理的な蕩減期間である一二〇年(モーセの四十年ずつの三次の生涯)、四十日(断食期間)、二十一日(第一次民族的カナン復帰期間)、四十年(民族的カナン復帰の荒野期間)などを、神殿を建てることによって、それを中心として横的に蕩減復帰させようとした。しかし、サウル王もやはりまた、不信に陥ったので(サムエル上一五・11~23)、この摂理は成し遂げられずに、アブラハムのときと同じく、これらを縦からなる横的蕩減復帰期間として復帰するため、統一王国時代一二〇年、南北王朝分立時代四〇〇年、イスラエル民族の捕虜および帰還時代二一〇年、メシヤ降臨準備時代四〇〇年を立てて、初めてメシヤを迎えるようになったのである。

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